音の香りとは
以前偶然本屋で見かけ「調律師」という小説としては珍しいタイトルと
~音を香りとして感じる身体~ という帯の文字に興味を惹かれて思わず購入。
一人の元ピアニストである調律師を中心に話が広がっていきます。 興味深いのは、登場する調律師が「共感覚(きょうかんかく)」という実際に存在する
一部の人間にしか感じられない特殊な感覚の持ち主であることで、
そのことを軸に話が展開されていく点です。
主人公である彼の場合は、生ピアノの音(電子ピアノ音では感じない)を聴くと、比喩的にではなく、実際に匂い(香り)としてその音を感じるというもの。
私はこの本を読むまでは「共感覚」という存在すら知りませんでした。
医学的には病気としてではなく、むしろ能力的な解釈のようです。
私の調律の師匠は、ピアノの音をやはりよく香りに例えてお話をされます。
でもそれは
「いい香りがするだろう?」とか、
「トイレの芳香剤の匂いみたいで駄目だな」といったように、
あくまで比喩的におっしゃっておりました。
先生のように音を「香りとして捉える」感覚自体は、
調律師としてとても理解できるところです。
ただ物理的に音を香りとして感じるのだとしたら、
その調律師は実際にはどのように仕事を行っていくのだろうと、
職業柄か真剣に考えたりしてしまいます。
そんな話は未だかつて聞いたことありませんので。
本に登場する調律師が感じる音の種類は思わず笑ってしまうほど具体的です。例えば、、ヨードチンキ、残飯、稲藁、麦芽、柚子といった具合です。
もし自分にそんな能力があったら楽しくて仕方無いだろうし、
逆に’異臭’が気になって、ある意味不快なのかなとも思います。
でも一度ピアノの音で匂いを体験してみたいものです。
なぜなら、いい音がどんな香りがするのかを是非感じてみたいからです。
珠玉のピアノから出る本当にいい音を芳醇な香りとして聴くことがもしできるとしたら、きっと自分は気絶してしまうのではないでしょうか。
転調という選択
全7話中最後の2話は、東日本大震災と絡めた内容に大きく転調されます。
執筆中に震災が起こり、著者が仙台市出身者(現在住)であり、
震災で甚大な被害を受けたあの気仙沼市内の中学校で教師をしていた経験があるということで、一人の人間としてどうしても書かないわけにはいかなかった、というような内容の説明があとがきにありました。
あの大震災を経験することによって、すべてがリセットされてしまい、
元の自分には戻れなくなってしまったと、当時の心情を吐露されています。
小説を一つの作品として考えた場合、これには賛否両論あると思います。
結果的に作品全体の色がはっきりしない終わり方になってしまった感は正直あるかもしれませんが、これは読む方それぞれの感じ方ですので、興味を持たれた方は是非手に取って読んでみてください。
私個人としては、著者がなぜ調律師という裏方職業を題材に選んだのかを知りたく、当然最後に著者から何か語られるのかと思っていたのですが、その件については「共感覚」同様一切触れられておらず、それは少々意外な感じがしました。
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